母の死

人生というクソゲーにもがく40代サラリーマンのブログ

40代、バツイチ。。。社会不適合者オヤジの侘しい生活記録

母の死。あの時の後悔が忘れられない

現在、私は自営業という形で広告の仕事を請け負っている

51歳のフリーランサーで、大学三年の息子と同じ年の妻の三人暮らしをしています。

 

 

人に言えないような悩みは、

この51年間生きてきた中ではかなりたくさんありますが、

その中でも恥ずかしい部類の話をここでさせていただきたいと思います。

プルプエラ 楽天で買ってみました。

 

私には十年ほど前に他界した母親がいましたが、

母は長いこと糖尿病を患い、入退院の繰り返しをしていました。

 

 

私たち家族は狭いアパート暮らしでしたから、

そんな母を引き取ることはできず、

兄は私のアパートの近くに母のためにアパートを借りたのです。

 

 

母に何かあれば私がすぐに駆け付けられるようにそういう手配をしたのですが、

私としてはこれがかなり負担になってしまったのです。

 

 

母は糖尿病の高血糖で、ときどき脳障害を起こし、

訳の分からないことを口走ったりして、

私はそのたびに母に呼び出されていました。

 

 

仕事をしながら母のところへ出かける毎日が続き、

ときにはまったく睡眠がとれないときもありました。

 

 

そんなことが半年も続いたとき、

私は仕事である致命的な失敗をしてしまい、

かなり落ち込んでしまったことがありました。

 

 

そして、その失敗がもとで仕事が激減し、

生活にも支障をきたすことが間々起きたのです。

 

 

そんなことで私の心の中の何かが壊れ、

あるときは一日中、パチンコ屋に入りびたり、

夜は家にも帰らずにどこかの酒場で

泥酔していたという時期が続くようになったのです。

 

 

さすがにそんな自分をまだ小学生だった子供に見られたくないので、

子どもが学校へ行った隙を見て家に帰るような、

そんな生活を続けていたのです。

 

 

あるとき、妻が離婚したいと切り出してきました。

 

 

これは当然の結果だろうと思うのですが、

心の中では済まないという気持ちはあったのです。

 

 

しかし、何を言おうが妻には届かないということは百も承知でしたから、

私はただ黙っていたのです。

 

 

私がそんな状態でしたから、

兄は母を施設に預けることにして、

数か月後、そこで母が息を引き取りました。

 

 

最後に母に会ったのは亡くなる三か月前の事です。

 

 

施設の場所が地方にありましたから、

そう簡単には行くことができなかったのです。

 

「仕事があるなら、もう帰りな」

 

最後に母はそう言いました。

 

 

後悔しても始まらないことは分かっているのですが、

もしも私があのときに母のもとにいてあげれば、

母はこんなに早く逝ってしまうことはなかったのではないか、と。

 

 

それはあれから十年経った今でも時々思うことです。

 

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